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祈りの答え
私たちが力を求めれば、神は困難を与えて下さる 知恵を求めれば、問題を与えて、
それを解決することによって知恵が深まるようにし て下さる。
繁栄を嘆願すれば、そのための努力ができるように頭脳と体力を祝福してくださる。
勇気を願い求めれば、克服するための危険を与えて下さる。
恵みを求めれば、その機会を与えて下さる。
これが祈りの答えである。
チャールズ・マンリー・ブラウン
「私達が敵に憎しみを感じると、むしろ自分自身が 敵に支配されるようになる。
そしてその支配力は私達の睡眠・食欲・血圧・ 健康・幸福にまで及んでくる。
・・・ だからキリストが”自分の敵を愛しなさい”と言ったのは 単に道徳律と説いただけではなく、20世紀の
医学をも説いたのだ。」 (道が開ける・・・デ-ル・カーネギーより) 「敵のために暖炉を熱くしすぎて
おのが身を焦がさぬように」 Love ya all
エントリー
スタートもばらばら 道順もばらばら 休んでもいいし 助け合ってもいい
そんなレースにエントリーしてる ゴールはまだ遠いけど きみとおなじ道をすすんでる
それだけでうれしいよ
(ぽぽろの詩集より。http://www.d3.dion.ne.jp/~poporoh)
こうじょう心
「こうじょう」という言葉を辞書で引いてみる。
口上、向上、厚情、交情、恒常…。 わたしたちは、「こうじょう心」を持たなければならない。
と思う。 「と思う。」と書いたのは、僕がそう思う。という事である。
「口上」とは、口で言 う事。英語では Message。
「向上」とは、進歩する事。英語では Progress。
「厚情」とは、厚い情、親切な心。英語では Kindness。
「交情」とは、親しい交わり。 英語では Friendship。
「恒常」とは、当たり前、普通に。英語では Constancy。
わたしたちは、恒常的に厚情を持って交情し、時には口上で愛を伝え、
恒常的に向上心を持たなけれ ばならないと思う。 (「と思う。」と書いたのは…以下略。)
自分で限界を決めるのはとても簡単に できることだ。
「これでいいや。」と思えば、何でもすぐにカタがつくかもしれない。 でも、それは
決して良い方法だとは言えない。と思う。(以下略。) こうじょう心を持って、その時その時の自分
が出せる力を全部出して、 熱心に打ち込めば喜びが沸き上がるはずだ。と思う。(以下…。)
「わた したちはなりたい自分になれる。」…ある姉妹宣教師が 帰還する時、証詞会で述べた言葉だ。
「全力 でがんばって、神様、イエス様に頼って…信じれば何にだってなれる。
わたし は今、なりたい自分にな りつつあります。そしてきっとなります。」
僕もそう思う。皆さんはどうお思いですか?
テレパシー
僕が今 何を考えてるかわかる? 僕は今 君が何を考えてるかわからない
僕達 テレパシーは失敗したけど コミュニケーションはまだ大丈夫
だからもっといろんなことを話そうよ
(ぽぽろの詩集より。)
「思い」 −ウォルター・D・ウォルトン−
もし自分でだめだと思えば、だめになってしまう。
しかし自分は違うんだと思えば、頑張ることもできる。
勝ちたいのだが勝てそうもないと思えば、十中八九は勝てない。
初めから負けると思っていれば、絶対に勝つことはできない。
この世のことに限らず、成功・不成功はすべての人の思いから始まる。
すべては思い次第である。 この世には、その第一歩を踏み出す前から敗れているレース、
仕事に掛かる前から失敗している臆病者が、何と多いことか。
大きな思いは行いを向上させ、小さい思いは人を萎縮させる。
自分には何ができ、何をしたいのか、すべては人の思い次第である。
自分をすぐれた者と思えばそのようになる。
自分を高めるには、そのような思いを抱かなければならなくなる。
賞を得たいと思えば、自分にまずその確信がなければならない。
人生の戦いは、必ずしも強い者・早い者が勝つのではない。
最後の勝利者となるのは、いつも自分にはできると考えている人である。
『マザー・テレサ愛のことば』から。
「多くの人は病んでいま す。自分がまったく愛されていない 関心をもってもらえない
いなくてもいい人間 なのだと……。人間にとって いちばんひどい病気は だれからも必要とされて
ないと 感じることです。(中略) こどもたちは 家 庭のなかに愛やほほえみを 見
つけることができません。こどもたちはさびしすぎるのです。さびしさをまぎらすた
めに 外へさがし求めにゆくのです。
あなたはこの世にのぞまれて生まれてき た たいせつな人。あなたがなんであり、どこの国の人であろうと 金持ちであろうと 貧乏であろうと それは問題ではありません。あなたは同じ神さまがおつくりに
なった 同じ神さまのこどもです。(中略)貧困をつくるのは神ではなく、わたし
たち人間です。わたしたちが 分かちあわないからです。まずしりあうこと、知
りあえば お互いに愛しあうようになるでしょう。
互いに愛しあえば 支えあうよう になるでしょう。もしほんとうに愛したいと願うなら ゆるすことを知らなけれ
ばなりません。」
私の好きなマザー・テレサの言葉、第二弾。これは私の一番のお友達の 姉妹が、私が落ち込んでいるときに、私に教えてくれたものです。
主よ私が空腹を覚えるとき、パンを与える相手に合わせてください。
のどが渇くとき、飲み物を与える相手に会えますように。
寒さを感じるとき、暖めてあげる相手に合わせてください。
不愉快になるとき、喜ばせる相手に出会えますように。
私の十字架が重く感じられるとき、だれかの重荷を背負ってあげられますように。
乏しくなるとき、乏しい人に出会わせてください。
暇がなくなるとき、時間を割いてあげられる相手に出会えますように。
私が屈辱を味わうとき、だれかを誉めてあげられますように。
理解してもらいたいとき、理解してあげられる相手に出会えますように。
かまってもらいたいとき、かまってあげられる相手に出会えますように。
私が自分の事しか頭にないとき 私の関心が相手にも向きますように。
空腹と貧困の中に生きそして死んでいく世の兄弟姉妹に奉仕するに値する者となれますように
主よ、私をお助けください。主よ、私たちの手をとおして日ごとのパンを 今日彼らにお与えください。
私たちの思いやりをとおして 主よ、彼らに平和と喜びをお与えください。
パッカー長老が伝道部長してたとき、神様に祈ったそうだ。どうか、この伝道部にす
ばらしい宣教師を送って下さいと。伝道部長として、彼は若い宣教師達を空港に迎え
にいった。みな、すばらしい若者だった。ある若者はアメフトチームのエースであり、
高校の生徒会長をし、教会の奉仕もしていた。彼を先頭に、自信にあふれたすばらし
い宣教師が次々に降りてきた。そして、最後にひとりのよわよわしそうな、宣教師が
申し訳なさそうに、降りてきた。彼を目にとめて、パッカー長老はすぐに、祈ったそ
うだ。「主よ、わたしの願いをかなえてくださってありがとうございます。」
ブリガム・ヤングは僕のなかでは、ジョセフに劣らない預言者で す。教会を世俗の組織に例えるのはよくないかもしれないけど、組織づくりは2代目
が大変だと思います。ヤングは、それをりっぱにやりとげ、力強い預言者としての権
能により、教会を分裂の危機から救い、神殿の儀式を完成させ、ソルトレーク神殿を
つくりあげ、ユタ州に王国を作り上げ・・・。ユタにいくとその都市計画のあまりの
完成度と先見の銘に背筋がぞぞっとするほどです。もちろん、預言者だから、できたのだけど、それにしてもただもんじゃない。結構有名な話だけど、ヤングがソルトレー
ク神殿の基本設計図を啓示によって書いたとき、各階に意味のない縦穴があった。設
計図を書く人が(トウルーマン・エンジェルだったと思う)「この穴はなんですか。」ときくと、ヤングは、「私にもわかりません。主がそれを造れとおっしゃるのです。」と答
えた。いまそのあなは何になっているでしょう。そう、エレベーターです。 また、彼は馬車の時代にソルトレークCITYの真ん中を通
る、8車線の道路をつくった。 今、車の世になり、それは主要幹線道路になっている。
「幼な子の信仰」
1834年から翌年にかけての冬、カ-トランドに神学講座が創立された。そこでは、ひ
とりを選んで他の人を啓発する話をさせるのが慣例であった。あるときヒーパー・C・
キンボールが指名され、信仰について話すことになった。彼は最近、家庭に起きた出
来事から話を始めた。「ある日、私の妻が外出するときに、娘のヘレン・マーに、皿
に手を触れないように言いつけました。」その皿は珍品で値段も高く、買い足しがで
きなかったのである。キンボール姉妹は娘に、もし留守中に割ったりしたら帰ってか
ら罰を与えると言いわたした。キンボール兄弟はこう続けている。「妻の外出中に、
娘は折り下げ式テーブルのたれ板をおろしてしまい、何枚もの皿を割ってしまいまし
た。少女はひどくおぴえて、リンゴの木の下に行き、母親の心が和らいで、帰ってき
てもお尻をぷたないようにと祈った。キンボール兄弟はこう語った。「娘の母は非常
に厳格な人で、子供にこうと約束したら必ずそれを守る人でした。外出から戻ると、
約束通り娘を罰しようとしました。彼女は(娘と)一緒に自分の部屋に入って行きま
したが、娘をせっかんする気力がなく、心が和らいで、子供に向かって手を振り上げ
ることがどうしてもできませんでした。あとでヘレンは母親に、主に析ったことを話
しました。」ヒーパー兄弟は淡々と話してきて、一息置いた。聞く人たちの目には涙
が光っていた。心のやさしい預言者ショセフも泣いていた。預言者は兄弟たちに、こ
れこそが自分たちに必要な信仰であり、「身を低くして親の前に行き、心の願いを打
ち明ける幼な子の信仰」であると語った。彼はキンボール兄弟をほめ、「この話は時
宜を得ている」と言った。 ジョセフ兄弟はとてもやさしい人だったんですね。
真鍋君に学べ(有名な話だけど)
昔、確か、熊本だったと思います。真鍋君という、求道者がいました。真鍋君は宣教
師のお話が好きでしたが、どうしてもイエス・キリストのあがないが理解できませんでし
た。どうして彼が私達の代わりに、罪の代価を支払わなければならないのか理解でき
ませんでした。 真鍋君は、めがね屋さんで働いていました。ある時、一人の年老いた女性が真鍋君のところへきてこういいました。私には、ひとり息子がいます。息子は今、東京にいて
毎週わたしに手紙を書いてくれるのですが、私は目が悪いので読むことができません。
これでわたしのためにめがねを作って下さい。これは今、わたしがだせる精一杯のお
かねです。といってお金をわたしました。真鍋君は一瞬まよいました。そのお金は老
眼鏡を作るには少なすぎたのです。しかし、すぐに、真鍋君はいいですよ。といった
そうです。彼は自分で不足分を出してあげようと考えたのでした。そのとき今までわ
からなかったことが、わかったのです。なぜ、あがないが必要なのか。 私達は、みな悔い改めが必要ですが、罪の代価を完全に支払うことは、できません。
そこで足りない分を主がかわりに支払ってくださったのです。ゲッセマネの園で。
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