最初の示現

末日聖徒イエス・キリスト教会の創立者ジョ セフ・スミスは,1805年12月23日、アメ リカ合衆国バーモント州ウィンザー郡シャロ ンという町で生まれました。彼の家族はその 後、ニューヨーク州オンタリオ郡(現在のウ ェイン郡)パルマイラ、マンチェスターへと 移住しました。ジョセフ・スミスの家族は教 会には集っていませんでしたが、多くの開拓 者がそうであったように、毎日家族で祈りを 捧げ、聖書を朗読する家庭でした。当時14 才のジョセフ・スミスは真理を求め、何が正 しく何が間違っているか知りたいと思ってい ました。というのもマンチェスターに移住し て2年目、その地域一帯で宗教に関する異常 な騒ぎがあり、それぞれの教派に別れ教会の 牧師、信者が論争を繰り広げていたのです。 「この言葉の争いと見解の騒動の渦のただ中 にあって、わたしはしばしば心に問うた。 『なにをしなければならないのだろうか。 これらすべての教派のうちのどれが正しいの だろうか。それとも、ことごとく間違ってい るのだろうか。もし彼らのうちのどれかが正 しいとすれば、それはどれで、どうすればそ れが分かるのだろうか。』これら宗教家たち の論争によって引き起こされた、極度に難し い事情の下で苦しんでいたある日のこと、わ たしは、ヤコブの手紙第一章五節を読んでい た。『あなたがたのうち、知恵に不足してい る者があれば、その人は、とがめもせずに惜 しみなくすべての人に与える神に、願い求め るがよい。そうすれば、与えられるであろう 。』この聖句が、このとき、かつて人の心に 力を与えたいかなる聖句にも勝って、わたし の心に力強く迫って来たのであった。それは わたしの心の隅々に大きな力で入り込んで来 るように思われた。もしだれか神からの知恵 を必要とする者がいるとすれば、それは自分 であることを悟って、わたしはこの言葉を再 三再四思い巡らした。なぜならば、わたしは どうしてよいか分からず、また自分がそのと きに持っていた知恵よりも深い知恵を得られ なければ、どのように行うべきかまったく分 からなかったからである。それというのも。 様々な教派の教師たちは同じ聖句を異なって 解釈し、その結果、聖書に訴えて疑問を解決 することへの信頼をすべて打ち砕いてしまっ ていたからである。」(ジョセフ・スミスー 歴史1章10-12)

ジョセフはもし神が知恵に不足している者に 知恵を与え、とがめもせずに惜しみなく与え て下さるならば、思いきって願い求めるべき だと結論ずけ、1820年の早春美しく晴れ た朝に、人目を避けるために近くの森に入り 全能の神に祈りました。「わたしは前もって 決めておいた場所に人目を避けて行き、辺り を見回し、自分一人であることを確かめると 、ひざまずいて、心の願いを神に告げ始めた 。わたしがそうし始めるやいなや、すぐにわ たしは何かの力に捕らえられた。その力は完 全にわたしを圧倒し、わたしの舌をしびれさ せるほどの驚くべき力を振るったので、わた しは物を言うこともできなかった。深い闇が 私の周囲に集まり、一時はあたかも突然の滅 びを宣告されたかのように思われた。しかし 、わたしは自分を捕らえたこの敵の力から救 いだして下さるようにと、あらんかぎりの力 を尽くして神に呼び求めた。するとわたしが 今にも絶望し、破滅に身を任せようとしたそ の瞬間、すなわち想像上の破滅ではなく、目 に見えない世界から来た実在する何者かの力 、わたしがこれまでいかなる者にも一度も感 じたことのないほどの驚くべき力を持った者 の力に身を任せようとしたその瞬間、この非 常な恐怖の瞬間に、わたしは自分の太陽の輝 きにも勝って輝いている光の柱を見た。そし て、その光は次第に降りて来て、光はついに わたしに降り注いだ。それが現れるやいなや 、わたしはわが身を縛った敵から救い出され たのに気付いた。そして、その光がわたしの 上にとどまったとき、わたしは筆紙に尽くし 難い輝きと栄光を持つ二人の御方がわたしの 上の空中に立っておられるのを見た。すると 、そのうちの御一方がわたしに語りかけ、わ たしの名を呼び、別の御方を指して、「これ はわたしの愛する子である。彼に聞きなさい 。」と言われた。わたしが主にお伺いしよう とした目的は、自分が加わるべき教派を知る ために、すべての教派のうちのどれが正しい かを知ることであった。そこで、わたしは我 に返って物を言えるようになるやいなや、わ たしの真上で光の中に立っておられた方々に 、すべての教派のうちのどれが正しいか(当 時は、すべての教派が間違っているというこ となど、わたしの心に思い浮かびもしなかっ たからである)、また自分はどれに加わるべ きかを伺った。するとどれにも加わってはな らない、すべて間違っているからである、と のお答えであった。また、わたしに話しかけ られた御方は、彼らの信条はことごとくその

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目に忌まわしいものであり、信仰を告白する それらの者たちはすべて腐敗しており、「彼 らは脣をもってわたしに近ずくが、その心は わたしから遠く離れている。彼らは人の戒め を教義として教え、神を敬うさまをするけれ ども神の力を否定している。」といわれた。 その御方は再びわたしに、それらのどれにも 加わることを禁じられた。また、ほかにも多 くのことをわたしに言われたが、わたしはそ れを書くことができない。わたしは再び我に 返ると、自分が天を見上げて仰向けに横たわ っているのに気づいた。」(ジョセフ・スミ ス歴史1章15-20)

ジョセフは父なる神とイエス・キリストに会 い、直接導きと知恵を授けられました。彼は その後、自分の経験を無邪気にも、教会の牧 師や周囲の人に話しました。しかし回りの人 々は、14才の貧乏な取るに足りない少年に 悪口雑言を浴びせ、迫害を加えました。ジョ セフは自分に起きたこの出来事に関して、こ のように言っています。「当時真剣に考えさ せられ、またそれ以来しばしば考えさせられ てきたことであるが、十四歳を少し超えたば かりの名もない少年、それも日々の労働によ ってわずかな生活費を得なければならない定 めに置かれた少年が、当時最も評判の良い教 派に属する偉い方々の注意を引き、最も激し い迫害と悪口雑言を浴びせようとする思いを 彼らの心中に起こすほどの重要人物と思われ ようとは、何とも不思議なことである。しか し、不思議であろうとなかろうと、それは事 実であり、しばしばわたし自身にとってひど い悲しみの種となった。しかしながら、それ でもわたしが示現を見たことは事実であった 。わたしはそれ以来、自分はパウロによく似 た心境であると思ってきた。彼はアグリッパ 王の前で弁明し、自分が示現を受けて光を見 、声を聞いたことを話した。それでもなお、 彼を信じた者はほとんどなかった。ある者た ちは彼は不正直だと言い、ほかの者たちは彼 は気が狂っていると言った。そして彼はあざ けられ、ののしられた。しかし、すべてのこ とも、彼が示現を受けたという事実を損なう ことはなかった。彼は示現を見た。彼はその ことを知っており、天の下のあらゆる迫害も 、その事実を変えることはできなかった。た とえ迫害されて死に至ろうとも、それでも彼 は、自分が光を見、自分に語りかける声を聞 いたことを知っていたのであり、最後の一息 まで知っていたことであろう。全世界も、彼 にそうでないと考えさせ、信じさせることは できなかった。わたしについても同じであっ った。わたしは実際に光を見た。その光の中 に二人の御方を見た。そして、その方々が実 際にわたしに語りかけられたのである。たと え示現を見たと言ったことで憎まれ、迫害さ れたとしても、それは真実であった。そして 、そのように言ったことで、人々が迫害し、 わたしをののしり、わたしに対して不当にあ らゆる悪口を浴びせているとき、わたしはこ のように心の中で言うようになった。「真実 を告げたことで、なぜわたしを迫害するのか 。わたしは実際に示現を見た。どうしてわた しは神に逆らえようか。なぜ世の人々はわた しが実際に見たものを否定させようとするの か。」わたしは示現を見た。わたしはそれを 否定できず、またそうする勇気もなかった。 少なくともわたしは、そのようにすれば自分 が神に対して罪を犯し、罪の宣告を受けると いうことを知っていた。」(ジョセフ・スミ ス歴史一章23-25)

ジョセフ・スミスはイエス・キリストの力強 い証人です。彼は天使から古代アメリカの記 録が記された金版を受け取り、それを翻訳し イエス・キリストのもう一つの証である「モ ルモン書」を出版しました。また1830年 4月6日には、イエス・キリストに命じられ 末日聖徒イエス・キリスト教会を設立しまし た。末日聖徒イエス・キリスト教会は、昔の イエス・キリストが設立した教会と同じ組織 と権能を有しています。私たちは古代のイエ ス・キリスト教会の聖徒と区別するため、自 らを末日聖徒と呼んでいます。